超特急・考

スターダスト所属、非アイドルグループ「超特急」について偏った考察をします。

超特急「Beautiful Chaser」Music Short Film 〜雑感と死の尊さについてのちょっとした考察〜

 

先般、「美しい死」をテーマに若手映画監督・内藤瑛亮氏がメガホンを取った超特急「Beautiful Chaser」のショートフィルムが公開された。内容の過激さから地上波放送については自主規制を設けたとのことで公開前からメンバーや周辺スタッフが期待を煽りに煽ったが、個人的感想をいえば「肩すかしを喰らった」といった感じだった。
「ループ説」をはじめとした考察が出ているようだが、ここでそういった説の検証とともに個人的雑感を記したい。

 

悪いけど舐めんな

「映画情報どっとこむ」*1を鵜呑みにすれば、内藤監督は「ファンが怒っても良いとのことだったので、限界まで挑戦しました」「ファンの方が怒るんじゃないかとドキドキしています。この間のライブでユースケが足をつっただけでファンが悲鳴を上げたって記事を読んで青ざめました」とのことだが、ヲタク的に言えばメンバーがどんな風に扱われようとそこに作品上の必然性があってクォリティの高いものであるならば怒ったりしない。むしろどんなに過激に調理されたとしても出来上がるものが胸を打てば、それを芸術として理解ようと努力するし、心から賞賛したいと思う。
つまり、今作のテーマが「美しい死」であることや、それに応じてメンバーがどんどん死ぬことなどについてはそれでかまわない。たしかにシリアス一辺倒な作品にメンバーが出演することはほとんどなかったため、むしろどんな形でも別の顔や別の表現を見られることはヲタク心にも大変ありがたい。なので、監督がメンバーを殺すことで「怒られるかも」と心配している件についてはその方向性に誤りがある。安心せよ。ヲタクはアホだがそこまで愚鈍ではない。悪いけど舐めんな、である。

が、作品にそのクォリティが認められない場合、話は別だ。俺らのかわいい推しちゃんをなぶり殺すに足るそれなりの理由がほしいじゃないですか…とはヲタクの偏愛が過ぎるとしても、単純にあれだけ煽られたのだし作品としての良し悪しについては言及したい。死という重いテーマを扱う作品ならばなおのことである。
その意味で「Beautiful Chaser」Music Short Filmをどう好意的に見ても、深い感銘を受けるといったところまで入り込めなかった。先のサイトからの内容説明は以下の通り。


ある寂れた探偵事務所。7人の探偵は、仕事も来ない日々にだらけた毎日を過ごしていた。そんな探偵事務所にある日、傷だらけの少女が駆け込んでくる。

少女を介抱する 7人。

なかなか心を開かない少女であったが、7人と過ごすうちに少しずつ打ち解けていく。そんな折、探偵事務所の周りをうろつく黒いワゴン車と、謎の男達。おびえる少女。少女は、ある組織に家族を皆殺しにされ、彼女自身も追われる身だったのだ。彼女を逃がす計画を立てる 7人。それを決行するまさにその日、探偵事務所は謎の男達に襲撃されるのであった。

少女を守るために立ち向かう 7人。そして・・・


そのあとの内容について簡単に書いておきたい。少女を逃すために高飛びしようと石原軍団*2みたいな服に着替えた超特急の面々だったが、解りやすい格好をした悪の組織に乗り込まれ格闘開始。無敵の悪役にメンバーは一人一人と殺されていき、少女もその手に渡ってしまう。2号車カイが最後まで彼らを追うが、少女は(おそらく)殺され、激昂したカイによって悪役も殺され、負傷の大きかったカイも死ぬ。光に包まれながら眠るように死んでいく(?)カイを最後にモノクロのエンドロール(撮影シーンの静止画入り)が流れ、超特急のメロウ系代表曲「FLASH BACK」がかかる……完。
とにかく全員死ぬのである。おわかりいただけただろうか、ていうかそれさえわかれば完全についてこられている。つまりこの通り、「とにかく全員死ぬ」というところ以外になんのテーマも話も関係性も見えなかったことにも「肩すかし」を感じたのだった。

 

ループ説の否定

このフィルムの重要人物は少女と2号車カイだ。その二人が織りなす心のほのかな交流と、それが急に降ってわいた悪夢のような暴力によって引き裂かれ、死という終わりを迎えることに焦点が当たる。PR側からの煽りの割にはあまりにもストレートにメンバーが殺されて終わりといった単純さのせいか、8号車ツイッター界隈では小規模ながらも考察談議がなされる一幕もあった。まだ超特急がコンテンツとして成熟していないこともあって、8号車界隈には考察厨は少ない。考察(深読み)文化が育たない中でこのような動きがあったことは個人的には喜ばしいのだが、特に自身としては肩入れしたいものはなかった。
考察の中である程度話題を集めたのは「2号車カイだけが同じ時間をループ(やり直し)して、少女を救おうとしているのではないか」というものである。2011年に放映されたアニメ「魔法少女まどか☆マギカ*3で昨今流行した概念だ。


ループに限らずさまざまな考察のフックとなっているのが、フィルム冒頭にフィーチャーされる一枚の写真である。ぐーぐー寝ている超特急がいる部屋に、彼らの少年時代と思しき写真が飾ってあり、その真ん中には件の少女(超特急がいる部屋に傷だらけで駆け込んでくるときの姿のまま)が写っている…というもので、確かに物語性を感じさせるシーンではある。が、改めて考えるとループ説を推すなら、彼女が少年時代の超特急と一緒に遊んでいた頃の姿のまま現れる必要性はない。超特急と同じ年代の姿で現れてもいいはずだし、あえて幼い少女の姿で現れたのならそれはループというよりタイムトラベルものだ。
たしかにループ説については、冒頭でカイが一人だけ眠りから目覚めて立ち上がるシーンなど「ここはどこだ?」感のある演技をしているような気がしなくもないし、ループ一回目ならばカイにも自らがループしている自覚がそこまでないために、自分の居場所を確かめるかのごとく周囲を見回して歩き出すようなことも自然なのかもしれない。しかし、ループ説については別の角度から否定したい。というか、否定させてくれよと思う。

 

死が美しいのはその一回性ゆえ

本作のテーマは「美しい死」であるという。ならば、死の一回性の尊さを抜きにして何度でも再現可能なループによる死をわざわざ描くことはないのではないか。あんだけばっさばさ惜しげもなくメンバーが死ぬのだから、ここまで死が一回性の貴重さを保持されずに簡単に殺されるだけの理由がほしくなるのはわかる。が、それだとわざわざ「美しい」と銘打ってテーマにするほどの価値は、死から剥奪されてしまう。あくまで一回性の死を描いた作品であると思いたい。*4

さてループ説とは別に「美しい死」を感じられたかについてだが、残念ながらといったところで、これが「肩すかし」の主要因である。超特急メンバー間や少女との関係性が希薄なために、本来ならばめちゃくちゃ悲しいはずの若者の死についての悲哀を感じることができなかった。そのために、ばたばた死んでいくメンバーを見ながら頭に浮かんだのは「美しい死」というよりも「死の安売り」だった。
死が美しいのはその一回性とともに、生が貴重で美しいものだからだ。美しく貴重な生を投げ打つ若者の非業の死は美しいはずだが、その生のストーリーの描写が不十分だったためにどうしても鑑賞後の肩すかし感が拭えなかったのだと思う。
このあたり、本来超特急は陰キャラ揃い*5なので、いくらでも文学性を背負えそうなものなのに残念である。個人的に超特急の映像作品の今のところの頂点はウルトラ超特急名義での「Starlight」のMVだ。

 

youtu.be

 

説明くさいところは皆無なのに、彼らのキャラクターと関係性がこんなにも描かれている…!と感動したものだ。なお、監督の福居英晃氏は超特急でのMV監督起用回数最多であるが、個人的にあの物語調なのをもう一度…!エビナイのヲタクの話*6なんかじゃなくて超特急でもう一度…!と願ってやまない。

評価したい点と少女=メタファ説

といっても、新進気鋭の若手監督がメガホンをとってくれたことにヲタクとしては感謝したい。ものづくりはたくさんの制約がある中で行われるし、また産みの苦しみは想像を絶する。その過程を思えば一方的に作品を享受して責任のないところでこき下ろすことは悪趣味であるとも思う。
メンバーの新たな面を引き出すシリアスでスピード感溢れる展開、スリリングな格闘シーンに着目したカットなど、映像としては記憶に残るものだった。またメンバー個々の演技力を引き出すにあたっても、監督の力量によるところは大きいものだろう。特に、これまで役者としてのキャリアを持つ4号車タクヤの死の演技は真に迫っており、その美貌を惜しげもなく手放すかのような悲惨な表情はかえっていつにもまして美しかった。
そう、メンバーの演技はそれぞれ非常によかったと思う。見せ場の多い2号車カイはいわずもがな、1号車コーイチの6号車ユースケが殺されたことに動揺するときの小物演技もよかったし、3号車リョウガのスマートな格闘シーンは素直にかっこよかった。また5号車ユーキの攻撃シーンは若干狂気じみていて個人的なお気に入りだ。

さて、蛇足ながらループでないのなら一体あのフィルムに隠された物語はなんだったのだろう。成長しない幼いままの少女は、超特急が大人になるにつれて失った「何か目に見えないもの」のメタファだとするのはどうだろうか。*7「何か」を置き去りにして大人になった超特急のもとに、いまにも抹消されそうな「何か」が助けを求めてやってくる。彼らは童心に返ってその「何か」とともにあろうとし、守ろうとするが、無残にも強大な力の前に死という形で伏すことになる…。
その「何か」が若さとかそれに付随する純粋さとかで、追っ手が消費を担う我々ヲタクやショービズのシステムとかだったとしたら最高にシニカルでいいな!!あとそういう死はたしかに悲しいし美しいな!!と興奮しつつ…お付き合いありがとうございました。

 

                                   了

 

 

 

 

 

*1:http://eigajoho.com/?p=31009

*2:炊き出しで有名。

*3:魔法少女まどか☆マギカ - Wikipedia

*4:けどそれが違ったらこれものすごい皮肉になってしまいますね

*5:褒めてますからね

*6:超特急「EBiDAY EBiNAI」MUSIC VIDEO - YouTube

*7:けどまあ、そうすると「映画情報どっとこむ」にある少女の「ある組織に家族を皆殺しにされ」という裏設定は必要なくなるんですけどね…